「刑務所」と聞けば、何をイメージしますか?
「網走刑務所」を頭に浮かべた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
網走刑務所(1891年(明治24年)~)といえば、極寒の最果てにある刑務所というイメージがあります。
実際、網走刑務所は日本最北端に位置する刑務所です。冬には気温はマイナスになります。
少し前になりますが、その網走刑務所に行く機会がありました。
JR網走駅の様子です。
横書きの駅名看板が多いなか、網走駅の駅名看板は縦書きとなっています。
その理由は、やはり刑務所と無関係ではありませんでした。
網走刑務所で刑期を終えた元受刑者のほとんどが網走駅から列車に乗車し故郷等に向かって行ったため、網走の町を去る際に「この縦書き看板のように、横道にそれることなく、まっすぐに歩んで生きて行って欲しい。」との思いが込められて縦書きになっている、との説明が看板に書かれていました(「網走駅の駅名看板と網走刑務所」網走刑務所長記)。
こちらが網走刑務所です。
網走刑務所は、1983年(昭和58年)に全面改築工事が行われました。
それにともない、正門(大正13年~昭和58年)や旧刑務所の教誨堂、獄舎などを移築復原した博物館網走監獄に移築・復元されています。
門の向こうに見えるのが、通称「赤レンガ門」と呼ばれたかつての網走刑務所正門です。重厚で威風堂々としており「最果ての監獄」と呼ばれ恐れられた時代の網走刑務所の威厳を感じさせると言われています。
詳しくは次回書きたいと思っていますが、網走の町は刑務所とともに大きな発展を遂げました。しかし、地元の人にとっては決して好ましいイメージではなかったため、戦時中には刑務所名変更の請願が網走町(当時)から提出されることもありました。
この請願は、衆議院を通過したものの貴族院で不採択となり、網走刑務所の名はそのまま存続することになりました。
しかしその後、高倉健さん主演の映画『網走番外地』シリーズなどで網走は有名な観光地となり、網走刑務所も有数の観光名所としてたくさんの人が訪れるようになりました。
現在では、博物館も作られ、このような食堂も併設されています。
監獄食堂では、現在の網走刑務所で収容者が食べている食事が再現された「体験監獄食」を実際に食べることができます。
博物館では、明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物が保存・公開されているとともに、刑務所の歴史の説明、体験型プログラムの提供などが行われています。これが非常に充実した内容でとてもすばらしいものばかりでした。網走に行かれた際にはぜひ見学されることをお勧めします。
今回の内容はここまでとします。
次回は、なぜこの極寒の最果てに刑務所が作られたのか、当時の囚人はどのような生活を送っていたかなどについて、見てきたこと・学んできたことを書きたいと思います。
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